「農口」審決取消請求事件【商標判決紹介】

令和2(行ケ)10050  審決取消請求事件

判決文:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/934/089934_hanrei.pdf

 今回紹介する事件は、「日本酒の神様」と呼ばれ、日本酒の杜氏として有名な農口尚彦氏(以下、「農口氏」)が、過去に自身が杜氏を務めていた農口酒造(株)(以下、「農口酒造」)が保有する商標「農口」(標準文字)に対して請求した商標法51条1項に基づく不正使用取消審判(取消2018-300815)の審決取消訴訟です。

商標法51条1項では、商標権者が故意に、登録商標を類似の範囲で使用し、その結果商品の品質の誤認や他人の業務に係る商品等との混同を生じさせたときは、何人も商標登録の取消審判を請求することができる旨を定めています。

本件では、出所の混同を生じるかどうか(本件使用商標と引用商標の類否、及び引用商標の周知性)が主な争点となりました。

 

【事件の概要】

審決取消訴訟の原告(取消審判の請求人)である農口氏は、平成25年末から2シーズン被告である農口酒造で杜氏を務めた後、平成29年から石川県で「農口尚彦研究所」の名称の酒造で、杜氏として酒造りを始めた。(株)農口尚彦研究所は、「農口尚彦研究所」の商標を付して製造販売している。

原告は、平成27年4月に被告を去る際、自分の手掛けた酒がなくなれば当然に被告が「農口」の名前を使わないだろうという認識で蔵を去っており、その際、自己の名を今後使用しないことを被告に求め、被告社長も何ら異議を述べなかったため、原告としては、自己の手掛けた酒がなくなった時点で、「農口」及び杜氏の農口尚彦の名前は被告の商品から消えることを確信していた。

しかしながら、その後も被告はラベルに「杜氏 農口尚彦」と表示した上で本件商標「農口」を使用し、被告の商品を原告が酒造りした商品と誤認した消費者もいたことから、原告は、被告の商標「農口」(標準文字)(登録第5707382号、第33類「日本酒」他)に対し、原告が使用する商標「農口尚彦研究所」を引用商標として、商標法51条1項の取消審判を請求した。

 

【審判での判断】

本件商標と本件使用商標における類似性は認めたものの、引用商標の周知性において、原告(審判請求人)自身が著名な杜氏であることを前提に引用商標も当然著名であると主張するのみであって、引用商標に係る日本酒の販売時期、販売場所・地域、販売数量、売上金額、市場占有率、その他の宣伝広告の状況などについての立証は全くされておらず、引用商標の周知性を推し量ることはできない、として引用商標の周知性を否定しました。

また、商品の出所の混同について、本件使用商標「農口」と引用商標「農口尚彦研究所」は観念において比較できないとしても、外観において構成文字及び構成文字数に顕著な差異を有するから相紛れるおそれがないとし、称呼においても本件商標から生じる「ノウグチ」又は「ノグチ」と引用商標から生じる称呼「ノウグチナオヒコケンキュウショ」又は「ノグチナオヒコケンキュウショ」を対比すると、両者は「ノウグチ」又は「ノグチ」の音を共通にするとしても、「ナオヒコケンキュウショ」の音の有無において、構成音において差異を有するから、称呼において相紛れるおそれはないと判断し、本件使用商標と引用商標は非類似の商標と判断しました。

その上で、出所の混同の有無については、引用商標と本件使用商標は非類似の商標であって、その類似性が高いとはいえないものであり、引用商標が周知性を有するものと認められないことから、出所の混同を否定しました。

また、品質の誤認については、両商標が非類似であることから、被告が本件使用商標を使用しても原告商標を想起することはできないとして、品質の誤認についても否定しました。

 

【裁判所の判断】

引用商標の周知性について、原告側が引用商標の周知性を立証するために提出した証拠の多くにおいて、原告自身についての記載はあるものの、日本酒の銘柄又はブランド名として「農口尚彦研究所」が用いられていることを示す記載がなかったことから「本件審決時において,酒蔵「農口尚彦研究所」及び「農口尚彦研究所」の日本酒は,日本酒の銘柄等に関心の高い日本酒愛好家の間では、相当程度認識されていたものと認められるものの一般消費者の間で広く認識されていたものと認めることはできず,ましてや,引用商標が原告の業務に係る商品「日本酒」を表示するものとして,広く認識されていたものと認めることはできない。」として、引用商標の周知性を否定しました。

また、本件使用商標と引用商標の類否については、審決と同様に両商標は非類似であると判断し、その上で、引用商標に周知性が認められず、本件使用商標と引用商標が非類似であることから、出所の混同は否定しました。

また、品質の誤認については、商標法51条1項にいう「商品の品質」には、「商品が日本酒(清酒)の場合,原料,製造方法等の違いによって分類される特定名称や特定の杜氏が関与して製造された商品であることをも含むものと解される。」と判断しながらも、「本件使用商標から,特定の観念を生じるものではなく,原告の観念を生じるものでもないから,本件使用商標を付した日本酒を原告が杜氏として製造した日本酒であると誤認を生じさせるものと認めることはできない。」と判断しました。

そして、被告のラベルに「杜氏 農口 尚彦」の表示があることから、被告のラベルに接した需要者が「原告が杜氏として酒造りをした日本酒であると認識するもの」と認められるが,そのことは,「杜氏 農口 尚彦」の表示から生じる認識であって,本件使用商標自体から認識あるいは誤認であるということはできないと判断し、品質の誤認を生じるおそれに否定しました。

なお、被告の故意の有無については、出所の混同が認められなかったことから、「被告の故意の有無について判断するまでもない」として、判断せずに、商標法51条1項該当性を否定しております。

 

【コメント】

この事件、原告が被告の元を去った後も、杜氏として原告の名前を表示していることから考えますと、「本件商標を取り消したい」という原告の立場は理解できます。

ただ、特許庁・裁判所が判断したように、本件商標と引用商標は非類似と考えられます(引用商標「農口尚彦研究所」も、本件商標と併存登録しております。)。

また、引用商標の周知性の判断において、裁判所が日本酒の銘柄等に関心の高い日本酒愛好家の間では、相当程度認識されていたけど、一般消費者の間では広く認識されていたものとは認められないと判断した点も、原告が提出した新聞・雑誌・ウェブサイトには「農口尚彦研究所」が原告が杜氏を務める杜氏として紹介されており、日本酒の銘柄やブランド名としては紹介されていないことを考慮しますと納得せざるを得ない点があります。

さらに、需要者が被告商品のラベルをみて誤認したのは、被告ラベルに『杜氏 農口尚彦』と記載されていたからで、被告が類似の商標を使用したからではないと判断した点についても、原告の名前自体が著名であるが故の判断と考えます。

原告の立場を考えると悔しい結論ではありますが、原告が被告の元で杜氏として務めることをきっかけに被告が社名を「農口酒造」に変えたことを考えますと、原告が被告の元を去る際に何か手立てしておく必要があったのではないかと悔やまれます。

参考までに、本件とは別に原告が金沢地方裁判所に提起した標章使用差止等仮処分命令申立事件においては、「農口尚彦」又は「杜氏 農口尚彦」の表示が日本酒の需要者の間で周知とは認められており、被告商品に「杜氏 農口尚彦」と書かれたラベルが付された商品の使用差止の仮処分命令が認められております。

 

清水三沙

清水三沙